ブータンでは、今でも半世紀前の日本のように、親戚、近所づきあいが強く残っています。
最初にエコツーリズム開発を行ったポブジカで、ある農家に泊めて戴いたとき、中年の女性の数が多いので、疑問に思って聞くと、近所のおばさんが一緒に晩御飯を食べていたということがありましたし、一緒に仕事をしているブータン王立自然保護協会のスタッフが、移動中に車を停め、対向車線のドライバーとずいぶん親しげに話していたので、誰なのか聞いてみると、「いとこのいとこのいとこ」という返事があったこともありました。
地縁、血縁社会が色濃く残っているブータンの社会では、例えば、どこかの地方に仕事などの所用で出かける際、お互いに泊めたり、泊めてもらったりということが普通に行われるなど、様々な場でお互いに助け合う様子が当たり前のように見られます。
コミュニティの中に入っていない私のような人間でも、時々そのブータン的地縁、血縁社会の恩恵を受けることがあります。2012年の春、私は仕事で中央ブータンのブムタンから首都のティンプーに戻る際、土砂崩れによって、トンサという町の手前で立ち往生する羽目になりました。このとき、同行していたガイドやドライバーが地縁、血縁を使ってあちこちに連絡をしてくれ、本来は外国人が立ち入れない南部の県を経由し、半日遅れで無事、ティンプーに戻れるように手配してくれました。ちなみに、その道路封鎖は二日以上続いたそうですから、そのまま待っていたら、私は大事な会議に間に合わないところでした。
一方、ブータン人は一旦仲が良くなりすぎると、懐にかなり深く入ってくる傾向があります。「親しき中にも礼儀あり」という日本流が通じず、困惑することも。
驚かされたのは、一緒に仕事をしている王立自然保護協会のスタッフから、「ブータンでは手に入らないから、車のブレーキパッドを買ってきて」と頼まれたときです。価格は知れていましたが、5キロ近いものをわざわざ運ばされたのには戸惑いました。また、日本製の弁当箱や、ノートを頼まれたことも・・・。頼んでくるものが普通のお土産ではないようなものばかりなので、毎回楽しんでいますが。
短い旅行でも、ガイドやドライバー、滞在先のホテルの人たちと、ブータン流のディープな付き合いを楽しんでみては。